ありがとうと言ってくれて、

ドレスを身につけたときのシナイちゃんの表情は忘れられない。
できあがるまで、彼は放っておいてくれていた。ずっと楽しみにしてたんだよ、と言った。
鏡を見ながら、信じられないというふうにドレスの上から体を押さえ、こちらを見、ふたたび鏡をのぞきこむ。
「すごい」
シナイちゃんはつぶやく。
「ほんとうに」
私を見る。そして笑う。ものすごく、うれしそうに。
「こんなの着たの、生まれてはじめて」
私は胸がつまり、泣きそうになる。内臓が身をよじらせている気がする。
「ありがとう、テルミー」
こちらこそ、ありがとうと言ってくれて、ありがとうございます。のどの奥がせきとめられて、声にならない。息をするのも大変だ。
すごくいい。すごく、いい。
彼はくりかえし言う。私もそう思う。彼にドレスが似合っているのも、この状況も。仕立ての神様に感謝したいと思う。シナイちゃんの求めるものを、自分はもしかしたら与えることができたのかもしれない。もしそうであるなら、これ以上の喜びはない。


『お縫い子テルミー』(栗田有起)より


おくりものにもっとも必要なのは想像力だ、とこれは以前、
人から聞いた言葉なのだけど、ほんとうにそうだと思う。


おくる側はおくりたい相手の気分や、環境や、生い立ちを
どこまでも想像し、相手の今欲しているものを大海のなかから
ひとつ、拾いあげなければならない。
一方おくられる側は、おくられるとわかっていても、なるたけ
知らんぷりをしているべきだ。
知らんぷりをしていざおくられたとき、相手が自分の知らない所で
どれだけの苦労をしたか、どれだけの手間ひまをかけたかを
想像する。想像してそのことを素直にうれしいと感じる、
こころのやわらかい部分をいつでもきたえておきたい。
そうしてそれをいっぱいにひらいて相手に伝えるのだ。


品物ではない。想像すること。そうしてそれを伝えること。


テルミー(♀)は流しのお縫い子で、この商売をはじめる
きっかけをくれたシナイちゃん(♂)にかなわない恋をしている。
出会いの日にシナイちゃんの着ているドレスを似合わない、と
断言したテルミーはシナイちゃんにドレスを作ってほしいと乞われ、
アルバイト代のほとんどをつぎこみドレス作りに没頭する。


上にぬきだしたのはそのドレスをさしあげる場面なのだけど、
なにしろシナイちゃんのよろこぶ様子がすてきだ。
「おくられ者」としては上級だろう。こんなふうによろこばれたら
「おくり者」はどんどんあなたを好きになる。
「おくり者」と「おくられ者」、ふたりの思いが高い、高い次元で
むすびついてうつくしくまわりつづける。


おくりものとは、ふたりでつくるものなのだと思う。


お縫い子テルミー

お縫い子テルミー


ちなみに、物語はここからまださらに展開しますので、
つづきが気になる方は本屋さんへどうぞ。