ひとりで食べたらずるいくらい

これはもう、おくりもの殿堂入りと言っていいくらいだと思う。
おくりものの景色として、わたしがまっさきに思い浮かべるのは
この本の、このシーン。

 かなり待ったような気がした。ぬれた足に風がじんじんしみた頃、部屋の明かりが突然ぱっとついて、おびえきった表情の雄一が部屋の奥から登場した。
 屋根に立ち、窓から半身だけ見える私を見つけると、雄一は目をまん丸くして、みかげー? と口を動かした。そして私が窓を再びノックしてうなずくと、あわてて窓をがらがら開けた。私がのばした冷えきった手を、雄一がひっぱりあげてくれた。
 ふいに明るくなった視界に目がちかちかした。部屋の中は別世界のようにあたたかく、バラバラだった体と心がやっとひとつに戻るような気がした。
「カツ丼の出前にきたの。」私は言った。「わかる? ひとりで食べたらずるいくらい、おいしいカツ丼だったの。」



『キッチン』所収「満月」(吉本ばなな)より


おくりものをするならば、おくりたい相手に向けてあなたの
想像力を、めいっぱいはりめぐらさなければならない。
あのひとがいま、ほんとうに欲しいもの(もしかしたら
それは「あのひと」自身も気がついていないもの)は
何なのか、ゆっくりと時間をかけてさぐらなければいけない。
けれど、ふだんからアンテナをとぎすませていれば、ふとした
瞬間に、あのひとのこころが見えるときがある。



物語の中のみかげのように。



どうしても見逃してはならない「時」が、生きているうちに多分
いくつかあって、それは見逃したらとりかえしのつかない、
重大な「時」であるのだけど、そのことをなにも、だれも
教えてはくれない。
自分で感じとるしかない。
くりかえしの日々のなかで、ともすれば鈍くなっていきそうな
アンテナを、つねに大切なひとに向かってのばすこと。
そして、昨日の出来事も明日の予定もすべて置き去りにして、
いま、届けにいく。時間も距離も越えて、いまあのひとに
これを届けたいと強く願うこと。



それが一級のおくりもの力。
日々是鍛錬。



キッチン (角川文庫)

キッチン (角川文庫)


※ちなみにこれは角川文庫版ですが、わたしは福武文庫の表紙の
ほうが好きです。物語の底に流れるそれぞれの孤独(でもそれは
決して絶望ではなく、孤独をきちんとひきうけながら光のくるほうを
見ている、静かなまなざし)をあの表紙とともに思い浮かべることが
できるからです。
おくりものにするなら是非、福武文庫版で。