愛情を感じさせるなにかちょっとしたもの

 プレゼント探しは難航した。祖母が電話で言ってきた。「ボーイフレンドを連れておいで。会いたいからね。でも、高くてむだなプレゼントをわざわざ買いに行くんじゃないよ。もう、あらかた欲しいものは持っているし、だいいち、たいがいの孫や子よりも趣味はいいつもりだからね。それに死んだあとにごちゃごちゃと残すのもいやだ。愛情を感じさせる、なにかちょっとしたものを考えてくれればいいんだよ。くれぐれも芸術にかかわるものを探そうなんて思わないように。まずうまくいかないだろうから」


トーベ・ヤンソン・コレクション 1 軽い手荷物の旅』所収「八十歳の誕生日」(トーベ・ヤンソン)より

ため息が出ます。
どうしよう。プレゼントを考えるのにこんなリクエストを
されてしまったら。
また、ここでいっしょに連れていかれる、初対面の「ボーイフレンド」の
立場にもなってみてください。
ええ、正直、逃げ出したくなりますね。
でも、ここで語られているのはたしかに、「おくりもの」の
基本中の基本、と思うのです。
困惑する一方で、こんな要求をされたなら、よし、なにがなんでも
「あのひと」を喜ばせてみせる、と妙にはりきってしまう自分も
いる気がします。



このあと、「ボーイフレンド」であるヨンネが見つけてきた
プレゼントを持って、ふたりは祖母の家を訪れます。
そこでかわされる祖母とヨンネの会話がまたストレートで、
読んでいて思わず身をこごめてしまうのですが、なんとなく洒脱で、
こころに残ります。


 「ようこそ」と祖母。「そう、あなたがヨンネなの。フィンランド人ね、そうでしょう?」そして彼をやさしく見つめる。「スウェーデン語しか話さない古ぼけた化石みたいな親戚縁者に囲まれて、どうやっていくつもりでいるの。だけど、じっさいあなたたち結婚はしてるの、してないの。すべきことはきちんとして片づいているのかしら」
 「きちんとしていますが片づいてはいません」ヨンネは怖じけずに言い、祖母は笑った。わたしにはわかった。彼が気に入ったのだ。


(同上)

形式やらしきたりやら、世の中にはいろんなかたちがありますが、
どうして自分がここにいるのか、どうやってここまできたのか、
「わたし」についての明白な答えをも、「おくりもの」は
求めてくるのかもしれない。
だいじな場面であればあるほどきっと、おくりものはいま現在の
わたし自身をうつす、鏡となる。



トーベ・ヤンソン・コレクション 1 軽い手荷物の旅

トーベ・ヤンソン・コレクション 1 軽い手荷物の旅