幽霊の音楽

 「まだ大きすぎるな」と叔父さんは言った。「もっとちょうどいいのがあるよ」。叔父さんはベッドの下に手を入れて、今度はだいぶ小ぶりのケースを引っぱり出し、スナップをぱちんと開けた。ルビー色のビロードを下に敷いた、分解したクラリネットが現れた。「こいつを覚えれば、サックスは訳ない。お前、ベニー・グッドマンの『シング、シング、シング』好きだろ?」
 僕はこっくりうなずいた。声を出したら泣き出してしまいそうで怖かった。
 「わかるかい、どうしてここにお前の名前が入ってるか?」
 「どうして?」僕はまだ、叔父さんが本当にクラリネットをくれるのかどうか確信がもてなかった。
 「お前には聞こえるからさ、そうだろ?」。叔父さんは指を一本、指揮者がタクトを持ち上げるみたいにかざした。
 僕は耳を澄ました。聞こえるのはハトの声だけだった。「何が?」と僕は訊いた。
 「幽霊の音楽がさ。ほら、ジップの右腕みたいな。ほかの誰にも聞こえなくても、ちゃんとそこにあるんだよ」 



『僕はマゼランと旅した』(スチュアート・ダイベック)より


信頼している人や、尊敬している人が使用していたものを
ゆずりうける、という経験は、手に職のある方なら
それなりにあるのかもしれない。


そうやってゆずられたわけではないけれど、
家にピアノがあった。
ずいぶん長いこと習っていたのだけど、ツェルニー
ハノン、ソナチネ、あたりまでしかいかなかった。
ピアノがきらいだったわけではないのだけど、練習曲が
苦手だった。単調でおもしろくない、と思っていた。
そのかわり、1年に1回開かれる発表会で、タイトルの
ついた曲をもらえるのが楽しみだった。楽器店で
ピアノピースを買うと、なんだか自分が一人前の
ピアニストになったような気がした。
アップライトピアノのふたをひらくと、
「ルビー色のビロード」が鍵盤にかかっている。
ぱっとそれをとりはらって、呼吸をととのえて、
本番のつもりではじめから弾く。間違うとまたはじめから弾いて、
夢中になってくれば、あとはうまくなりたい一心で、
苦手な箇所をなんども弾き直し、少しずつその音楽に
近づいていく。


ときどきピアノを見かけると、とっさに弾きたいなあ、と思う。
弾ける曲があるのかもわからないけど、鍵盤に指をのせて、
音を出したいと思う。習っていたころ、ピアノそのものには
あまり思い入れがなかったのだけど、弾かなくなった今
見かけるとピアノっていいなあ、と思う。


ずっと使っていたピアノを、もう古いから、と業者に言われて
売って、新しいピアノを購入したのだけど、弾いてみて
泣いてしまった、音がぜんぜんちがった、という話を
こないだ耳にして、なんだかわたしも泣きそうになってしまった。
音をききわける耳を自分が持っているかどうかはわからないけど、
その風景と、そのときのそのひとの絶望は容易に想像できた。
そして、離れた家に今もある、自分のピアノのことを思った。
弾くひとがいないので、まったく調律していない。
ふたをひらいて、鍵盤にふれたら、たしかに何か思い出せそうな
気がするのだけど。


僕はマゼランと旅した

僕はマゼランと旅した